2017年1月19日、第20回「沖縄」研究会を開催致しました。今回の報告は西原彰一(総合研究大学院大学(国立歴史民俗博物館)博士課程後期)による「沖縄の〈なまえ〉 ——敗戦直後の「改姓」「改名」について」です。ブログの報告記事も発表者によるものです。
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今回の発表、「沖縄の〈なまえ〉 ——敗戦直後の「改姓」「改名」について」は、これまであまり触れられることのなかった、敗戦直後の「改姓」「改名」について、その概観を行うとともに、琉球処分/併合以来の琉球/沖縄の歴史において、それをいかに配置してゆくかについて、いくつかの課題を整理することを通して考えてみた。
まず、発表の目的と対象について述べた後、琉球/沖縄の〈なまえ〉の構造と特徴を概観した。琉球国末期(1800年代後半)における〈なまえ〉は、士(ユカッチュ)、百姓ともに、当該する個の、琉球国における立ち位置を表示する機能をもった社会制度的性格の強い存在であったことについて述べた。
ついで、琉球国の〈なまえ〉が琉球処分/併合以来たどった歴史的展開について、明治13年の戸籍編成、明治半ば以降の男子の「改名」、明治後期以降の女子の「改名」、昭和10年代以降の「改姓改名運動」等の問題群から概観した。特に琉球藩廃絶/沖縄県設置の翌年に行われた明治13(1880)年の戸籍編成は、社会制度としての〈なまえ〉の根こそぎの変換であり、琉球処分/併合という文脈において捉えるべき存在であろうこと。また、その後の沖縄の〈なまえ〉のたどる歴史的展開の起点ともいうべき存在であったこと。この戸籍における「個」の特定(同姓同名の解消)としての男子の「改名」(「改姓」ではなく「改名」)が進められたこと。女学生、出稼ぎ女工らによる近代ヘの希求、差別への身構としての女子の「改名」が展開されたこと。さらに「改姓改名運動」は、在阪在京沖縄出身者主導による、差別への身構え、利便性の追求等を動機とした運動であり、それほど積極的な行政の後押しがあったわけではかなったこと等について述べた。また、この問題群についての概観をとおして、「改姓」「改名」が、差別への身構え、利便性の追求、労働力としての自己の商品的価値の追求、「近代」「モダン」への希求等々いくつもの「動機」が複合的かつ並列的に働きかけたものであったと考えられること、「皇民化」「統合化」という文脈のみで理解することには無理があることを述べた。
戦後の「改姓」「改名」については、1947年の「臨時戸籍」の編成、1953年の「整備戸籍」等の戸籍再製、整備の状況を整理し、この間に多発したといわれる「改姓」「改名」については、事例を紹介しつつ概観をおこなった。この戦後の「改姓」「改名」は、米軍占領下、軍政下にあってなお、ヤマト化という方向へのものであったこと、また、1953年の「整備戸籍」以降は家庭裁判所への申立を要するものとなったにもかかわらず一定数の申立が継続したことを述べた。また、こうした「改姓」「改名」の動きの大きな転換、逆回転ともいうべき「復姓」、すなわちヤマト化した姓をもとの沖縄姓へと戻すための申立が、1970年代後半から続発することに触れた。しかし、この「復姓」については、今回の報告では資料的蓄積がまだ十分でなく若干の新聞記事を紹介するにとどまったが、戦後沖縄の「改姓」「改名」を考える上では重要な問題の一つであることをのべた。
最後に、こうした、戦後沖縄の「改姓」「改姓」を引き起こしたものとは何かという問題について、「改姓」「改名」が内在していた様々な動機、意味づけの噴出、またそれを引き起こしたきっかけとしての、戦時体制以降に急速に進む人の移動と対「ヤマト」、対「ヤマト人」体験の拡大の問題について述べるとともに、ついで戦後史、また近現代史(琉球沖縄場合でいうなら琉球処分/併合以降から現代に至る歴史)を「改姓」「改名」という視座から読むことの可能性ついて触れ、小活とした。