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第21回「沖縄」研究会@神奈川大学 報告

2018年6月8日、神奈川大学で第21回「沖縄」研究会が開かれました。

今回は大学生が多く参加してくださったこともあり、20名での会となりました。

今回は二人の大学生からご報告をいただきました。

一人目の村岡龍岳さん(慶應義塾大学2年)からは「二週間の沖縄取材を通して―基地問題とメディア―」、二人目の田中駿介さん(慶應義塾大学2年)からは「アナクロスティックな政治的装置としての沖縄―繰り返される琉球処分―」というタイトルでそれぞれご発表がありました。

村岡さんのご発表は、今年2月末から3月中旬にかけて石垣島と沖縄本島で実施した、地元住民へのヒアリング調査と在沖メディア(八重山日報・琉球新報・沖縄タイムス社)への取材結果に関するものでした。石垣島では陸上自衛隊の基地配備問題に関して平得大俣地区と石垣港周辺で、沖縄本島では普天間基地の辺野古への移設問題に関して宜野湾市で、それぞれヒアリング調査が行われました。いずれの場所でもさまざまな賛否の声があったそうですが、基本的に基地問題について家族や近しい人々と議論することはないと答えた人々が多く、中には「基地に賛成」と言うと「戦争に賛成する人」というレッテル張りをされることをその理由に挙げた方もいたそうです。一方在沖メディアでの取材では、「中立」の考え方について各社で違いがみられたとのことでした。調査を終えた村岡さんは、いわゆる「右翼/左翼」と称されるレッテル張りが地元の人々の実生活に基づく被害の声を呑み込んでしまう現状や、右派・左派双方の人々にしばしば見られる実存的不安の存在を指摘していました。

田中さんのご発表は、ご自身の出身地でもある北海道の先住民のアイヌや、東日本大震災以降取材で通い続けているという福島に関する問題の構造に、沖縄の課題を重ね合わせて考察するという点に主眼が置かれていました。沖縄にも足しげく通い、すでに現地で多くの取材を行ってきた田中さんの考察の糸口は、政治的無関心の問題、高橋哲哉先生の『犠牲のシステム 福島・沖縄』で取り上げられた論点に対する意見、民族アイデンティティやマイノリティの問題など、多岐に及んでいました。自らの足で集めた当事者の声の中には生々しさや切実さを抱えたものも多く、現実を直視しながら政治的課題を見据えようとする姿勢が端々に感じられるご発表でした。

お二人が共通して挙げていたのは、取材の中で投げかけられた「沖縄のことは沖縄の人にしか分からない」との声に対し、県外出身の大学生という立場で沖縄の問題にどのようにかかわることができるのか、という課題でした。部外者と現場との関係は、社会調査を行う際には常につきまとうテーマです。現場は取材をする者や研究者の興味関心を満足させるための道具でも見世物でもないことを、調査を行う者は深く肝に銘じなければなりません。沖縄の人々の立場や想いを尊重しつつ、しかし部外者でもできることは何か。部外者だからこそできることは何か。現役の大学生のストレートな問いを受け、沖縄研究にかかわっている者のひとりとして改めて初心に返る思いがしました。

(文責・N)


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