2019年5月24日、第22回「沖縄」研究会を開催致しました。
今回の報告は「沖縄ポピュラー音楽産業」「音楽による地域活性化と観光誘致」「米軍基地とミュージシャンの関係性」等をご研究されている澤田聖也(東京藝術大学国際芸術創造研究科博士後期課程)さんに「沖縄におけるロック・ミュージシャンの演奏活動の変遷 —本土復帰前後を対象に—」というテーマでご発表頂きました。
澤田さんによると、沖縄研究の発端は、ご自身の出身地でもある沖縄についてあまり知らずショックを覚えた事にあったそうです。そこから沖縄と本土との基地問題を巡る温度差に関心を持たれ、音楽を通して基地問題をみていこうと思ったという事でした。
沖縄音楽の研究はこれまで、(琉球)古典音楽や民俗音楽について豊富な先行研究がありましたが、沖縄ポピュラー音楽というのはほとんど研究がされていないそうです。その中で沖縄ポピュラー音楽研究者である高橋美樹氏が沖縄ポピュラー音楽を「沖縄にルーツを持つ人々がレコードやCDを通して発表した音楽全般とその範囲」と定義した事に対し、澤田さんは「復帰前は沖縄の人々だけでなく外国人(特にフィリピン人)によっても音楽が育まれた」と指摘され、沖縄ポピュラー音楽を「人々がレコードやCDを通して、“沖縄で”発表した音楽全般」と再定義されていました。
その上で、1960年代半ばから1970年代半ばの本土復帰前後に、軍人・軍属を相手に演奏活動をしていたロック・ミュージシャンにインタビューを重ね、彼らの音楽実践に彼ら自身のオリジナリティーや創造性が反映されているのかを検証されてきたそうです。
今回の報告では、沖縄ポピュラー音楽を巡るこれまでの研究を交えながら、喜屋武幸雄氏、下地行男氏、ジョージ紫氏、比嘉清正氏、古堅喬氏、宮永英一氏、粟国悦夫氏の7名へのインタビュー時のエピソード等を中心に、お話し頂きました。参加者の中には沖縄音楽に慣れ親しんだ方々もおり、音楽や歌手の話で質疑応答も盛り上がりました。
なぜ沖縄の人々がロックを始めたのか、そこからどのようにして「沖縄ロック」が生まれたのか等、音楽を通じて沖縄と米軍基地の関係性を考察する事は、「沖縄」を巡る構造を理解する為の、重要な視点の一つだと思いました。
(文責KS)