2019年12月6日、第23回「沖縄」研究会を開催いたしました。
今回の報告は、中国からの留学生 施尭さん(東京大学総合文化研究科文化人類学研究室博士課程)さんに、「日常に内在した沖縄音楽——歴史、社会と個人のパースペクティブから」というテーマでご発表頂きました。
世界の民族音楽にご興味を持たれている施尭さんは、現代社会における民族音楽や民謡の発展という課題についてご研究されています。今回のご発表内容を施尭さんご自身がまとめてくださったので、ご紹介いたします。
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「日常に内在した沖縄音楽——歴史、社会と個人のパースペクティブから」
今日、日本の民間の音楽が全体的に無形民俗文化財等の形で保護され、後継者が不足している状況の中で、南の青い海にある沖縄では、三線音楽をはじめとする歌や舞踊がいきいきとする様子を呈しています。その沖縄音楽の魅力と現状を深く知るために、沖縄県那覇市に1年以上住み込み、関連の民謡教室、協会、サークル、酒場、ラジオ局、文化協会、公民館、劇場等に参与観察しました。今回の発表はそのフィールドワーク調査の整理と報告にあたります。
報告ではまず、琉球王国時代に遡り、琉球の宮廷と村々の音楽の概要を紹介しました。広義でいう沖縄の民謡は、生活と密接する仕事の歌、遊びの歌、恋の歌、そして祭祀や祈りに不可欠な「オモロ」「クェーナ」等も含まれます。また、琉球の宮廷では日本と中国の地縁政治の挟まりの中で、積極的に様々な音楽的要素を導入し、上演しました。琉球処分/併合後、宮廷の解体および人々の生活様式の変化により、かつての宮廷音楽と民間音楽は商業の舞台において一部融合されました。
そして、現在の沖縄音楽界では、「琉球・沖縄民謡」と「琉球古典音楽」の境界線が益々明晰になり、それぞれの「協会」を中心に発展しています。民謡と関連する協会は20以上存在すると言われていますが、その多くは1957年に成立された琉球民謡協会から分立したものです。各民謡の協会は己の教師免許を発行し、各地に支部を設け、民謡教室にあたる「研究所」を有しています。学習者は等級試験である「コンクール」に参加し、合格した場合、年間の発表会の「民謡祭」などに参加します。協会の結束により、現在沖縄民謡に関して多極的な権威の体系が形成されています。とはいえ、各協会間、協会内の先生達の間に、沖縄民謡に対する意味付けが異なり、それも協会分立の大きな理由です。
次に、参加したいくつかの沖縄の民謡にかかわるサークルの事例を紹介し、より多層で多様な沖縄音楽界のリアリティを紹介しました。例えば、若狭公民館の「島うたの会」のメンバー達は沖縄本島、宮古島、八重山、さらに琉球ポップスをレパートリーにしています。彼らは簡単化された楽譜を使い、毎月に老人ホームで慰問出演し、メンバーの身内や会社の冠婚葬祭に参加し、公民館の祭りで歌っています。招聘した先生は協会の「大御所」ですが、メンバーの奏法や歌い方の「間違い」をあえて直さなく、自由に歌わせています。参加者は、「ボランティアに共感」「舞台に立つ感覚がすき」「友人関係を保つため」「沖縄人としての確認」「祖母の要望」などの目的に継続に参加しています。
また、首里公民館の「首里クェーナ保存会」は1992年に首里城が復元される際に、首里自治会の婦人会のメンバーにより成立されました。「首里クェーナ」とは元々首里王府に務める神女であるノロ達が国家、家族の健康、旅立ち、航海安全等を祈願する時に歌う歌です。しかし、首里王府の崩壊により、ノロ組織も消失し、クェーナも途絶えました。彼女達は戦前から琉球各地の古謡を採集した山内盛彬が残した資料をベースに、山内盛彬の弟子を教師として招聘し、首里クェーナを復元しました。そして、1994年に那覇市無形民俗文化財として指定され、沖縄島内の各種の伝統芸能と関わるイベントに積極的に参加しています。さらに、彼女たちは音楽家や民俗学者を顧問として招聘し、歌の意味を勉強したり、冊子やCDを制作したり、中学生に「沖縄の女性の祈りの歌」として教えたりしています。
このように、近代化・都市化と共に、沖縄音楽は脱文脈化され、芸術音楽の方向に変更されました。そして、民謡や古典音楽の協会の成立により、基準化、組織化、権威化が進み、沖縄の都市を中心に、沖縄音楽に関する権威のある沖縄音楽界が形成されました。しかし、それは単一の上から決め付けられる方向性で形成されるものではありません。沖縄の人々は、その沖縄音楽界の中にいながらも、サークルなど様々形でこの体系に浮く面で、人間関係の開拓と維持、アイデンティティの詮索と誇り、パフォーマンス意欲等を満たし、はやり日常の中で沖縄音楽を楽しんでいます。
発表者 施尭(東京大学総合文化研究科文化人類学研究室博士課程)
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