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第27回「沖縄」研究会@ZOOM 報告

2022年1月21日、第27回「沖縄」研究会を開催いたしました。

新年に相応しく華やかな「組踊」をテーマに、33名の方にご参加を頂きました。


発表者の伊良波氏は現在、那覇市文化財課に勤務されており、沖縄からオンラインでご発表頂きました。今回も沖縄をはじめ遠方から多くのご参加があり、オンライン開催の利点を活かせたかと思います。本年度も皆様「沖縄」研究会を、よろしくお願い申し上げます。


発表者の伊良波氏は、2020年に第1回新作組踊・戯曲大賞(国立劇場おきなわ主催)において大賞を受賞され、2021年3月27日に国立劇場おきなわ大劇場にて新作組踊「塩売」(伊良波 賢弥作)を初演されたという経歴をお持ちで、またご自身も演者として組踊を学ばれ舞台に参加されるなど、大変多才な若き研究者です。(※令和3年度、第2回新作組踊・戯曲大賞においても新作「菊花の縁」を執筆され、奨励賞を受賞されました。)

本研究会では「近代沖縄における組踊の伝承 ―首里士族による「古典劇」の保存―」というテーマでご発表頂きました。


組踊は琉球国時代に創られ様式化された芸能で、外交のために発展させた歴史があります。琉球処分以降の近代の沖縄においては、それまで国策として上演されていた組踊をどのように人々に伝え、また後世に残していくのかが当時の伝承者の悩みどころでした。明治以降の沖縄県では「芝居」が隆盛を極めており、庶民の間では娯楽としての「芝居」が大変親しまれていました。そんな中で、嘗ての外交手段であり国の威信をかけて発展してきた組踊は総合舞台芸術としても注目されていますが、その高い技術を継承してきた士族の伝承者たちが琉球国解体後、更には日本同化の波が押し寄せる中であっても、大切に守り続けてきたその証が今日、組踊が国の無形文化財として指定され保存される動きへと繋がっています。現在の組踊は分業化(舞台上で踊り演じる役者と、音楽を演奏する者で分かれている場合が大多数ある)されていますが、琉球国当時は分業化されておらず、若い時分は演者を担い、後に歌三線を担うといったように、どちらも経験しその技術を受け継いでいたが、琉球国解体後に市井に降りてきた伝承者たちが、一方では踊りの師匠となり、一方では歌三線の師匠となり、実に幅広く組踊以外の様々な芸能も伝承し(琉球舞踊や古典歌三線)、今日にある沖縄芸能の礎を築き影響を与えてきた経緯があります。伊良波氏は当時の伝承者の状況について、具体的に誰がどういった役割を担い、どのような状況や場所で上演され、また伝承者それぞれの関係性を細かく分析されていました。これらの民俗調査資料や地域誌などの資料が少ない中において、ラジオ音源を一つずつ掘り起こし、話しの内容から人物の関係性を割り出し当時の状況を探るなど、研究においての苦労話しも興味深く拝聴しました。


筆者も沖縄芸能(民謡)を研究する身でありますが、琉球国時代は士族と庶民の文化は全く異なるものとして感じることがあります。例えば、今では「沖縄=歌や踊りの島」と多くの方がイメージをお持ちだと思いますが、琉球国時代の士族と庶民では、継承する芸能がそれぞれ違っていました。例えば民族楽器である三線についても、一般の庶民が手にし弾き歌うのは明治以降(一般的な普及はさらに大正、昭和と随分後年である)であるため、歌三線というものは元々は士族の文化であるといえます。琉球処分以降に士族の文化が市井に降り、後に爆発的に普及伝播していきました。彼らの活躍は、元々庶民の生活の中にあった舞踊、民謡、村の祭祀、村芝居(研究会に参加された質問者から「村々に伝わる組踊への影響」を気にされている方もいらっしゃいました。)に影響を与えたのは確実で、琉球国の対外政策として上演され士族周辺文化として栄えた組踊が、どのタイミングで庶民も一緒に楽しみ始め、また娯楽芸能としても愛される組踊になっていったのか、個人的に大変興味深い点であり、伊良波氏の今後の研究に注目していきたい。 (Y.F)

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