top of page

第30回「沖縄」研究会@ZOOM 報告

2022年10月7日、第30回「沖縄」研究会を開催いたしました。


今回の研究会では、国際社会学、移民・エスニシティ研究がご専門の藤浪海先生(関東学院大学 社会学部 専任講師)から、「多様なルートのなかの沖縄というルーツ――横浜市鶴見区の沖縄コミュニティを事例に」というテーマでご発表いただきました。


藤浪先生のご研究の特徴は、特に二世以降の沖縄系移民に注目しておられる点にあります。これまでの沖縄移民の研究は一世を対象としたものが主で、二世以降の世代に注目した移民研究は、今回の私共の研究会にもご参加くださった月野楓子先生(沖縄国際大学)のアルゼンチン移民に関するご研究などを除けば、それほど多くないのが実情です。また藤浪先生は、ある特定の移民集団というより、鶴見(神奈川)や南米などに散らばった沖縄人コミュニティ同士の関係性、すなわち離散集団間の関係性や、そのような離散集団とホームランドの沖縄との関係性に焦点をあてておられる点でも、これまでの沖縄移民研究に新しい視座を提供してくださっています。


ご発表では、まず、鶴見出身の沖縄系二世について、集住地区出身者か否か、沖縄人社会との近さ、沖縄での居住経験の有無などによって、沖縄アイデンティティのありようにどのような違いがみられるか、という点が取り上げられました。同じ二世でも、集住地区出身者は、日本社会の差別的なまなざしの影響をより受けやすく、また集住地区出身者同士でも、日常生活の中での他の沖縄出身者たちとのかかわりあいの程度によって、沖縄アイデンティティの形成のされ方も変わってくるとのことでした。また、沖縄社会(鶴見・沖縄)や日本社会だけではなく、集住地区が半ば重なっていた在日朝鮮人との関係性から、自らの沖縄アイデンティティを位置づけていくという側面もあったようです。


続いて、鶴見に住むサンパウロ出身の沖縄系二世に関するお話がありました。1980年代以降の鶴見には、ブラジルやアルゼンチンなどから呼び寄せられた沖縄系二世が多く流入しました。海外の沖縄移民コミュニティでは、今も沖縄のことばや文化が色濃く残っているという事例はしばしば耳にしますが、鶴見に移住した南米出身の沖縄系二世もまた状況は似ているようで、肯定的な沖縄アイデンティティを持つ人が多く、そのため現在の沖縄や鶴見のウチナーンチュの価値意識に対して温度差を感じている方もおられる、とのことでした。一方で、沖縄人コミュニティのある種の閉鎖性も感じてきた二世の人々によって進められている鶴見での多文化共生の取り組みも紹介されました。


最後に藤浪先生は、鶴見の沖縄系二世と一口にいっても、沖縄アイデンティティのありようは多様であることを踏まえたうえで、今後沖縄コミュニティがどのような力学のもとでいかに変容していくのかに注目する必要があるとして、発表を締めくくられました。


報告者が個人的に興味深くうかがったのは、1950年前後に沖縄で小学校に通った鶴見出身の方のエピソードです。学校でウチナーグチを話すと方言札が首にかけられる中、この方はウチナーグチを覚えたくて方言を積極的に使い、方言札がたまるのをむしろ喜んだ、というものでした。鶴見に住む南米出身の沖縄系二世の新しい取り組みも含め、沖縄のウチとソトを越境、または境界を行き来する人々によって「沖縄なるもの」に別の角度から光が当たり、それによって「沖縄なるもの」も変容していくのだとしたら、そのことは、さらに外側にいる(≒日本本土)の人々の沖縄イメージにどのような影響を及ぼすのだろうかとふと思いました。


(文責NY)

Comments


bottom of page